僕らは年に何度か海外を訪れるようにしています。
私たちが認知している日本という世界観とは少し対極にある世界を知るためにです。
世の中はあらゆるものが複雑な形で相対的に関係しあって成り立っています。
相手がいるから自分という存在を認識できるように、何か別の対になる物を見て
あらためて自分がいる「そこ」を理解することができます。
上があるから下があり、○があるから×が存在するよう、
あらゆるものに対極の世界があると僕は思うのです。
少し変かもしれませんが、
日本から出た時に初めて自分が日本人なんだと理解するのです。
日本人という印みたいなものが身体に記してあるわけでもなく、
ただそう言われて育ってきたので、僕は小さい頃から「なんとなく日本人」で存在していたのです。
日本人として見る日本と外国人として見る日本はおそらく違って見えているのかもしれません。
今は日本人として見る日本がとても気に入っています。
繊細さはもはやデフォルトとして、ものづくりをしていく上でエネルギーの根源となる
インスピレーションを自然から受けていたかのようなデザイン性。
進んだら退くことを知らない徹底的なタフな心が見え隠れする細かな表現。
いつも受け取る側の事を考える姿勢。
妥協する事はとても忌み嫌われることであり、その信念が溢れ出ている職人の佇まい。
全てに僕らが認知している「日本人」という意識がある。
「義理がたさ」「調和と協調」「自然を愛でる」これら美意識というのは、
日本人と認知しなければ有することのできない特別なものなのでは無いのでしょうか。
僕はどちらかというと職人気質です。
彼らの佇まいが粋だと思っている。
ハリボテ物を売る気はなく、僕らなりの美意識を表現できるような物を作っています。
ベタ塗りの無機質な表情ではない、暖かみのあるこのお店のキャラクターが見え隠れするような。
炭火で焼いた秋川牧園平飼い鶏と数種類の副菜をワンプレート仕上げにしたライスボウル
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